仕事をする時間帯は夜中が多いです。
普段はフラフラしていますが個展の依頼が入るとアトリエに篭って真面目に仕事をします。

そういえば昔、東急セミナーの講師を頼まれて3ヶ月ばかりやってみたんだけど・・・もう、全然教える才能がないことに気がついてやんなっちゃった。

作品を正式に発表する場合はたとえ美しい ものが出来上がっても自分の表現になっているかが問題になってきます。

今までぎりぎりまでサボっちゃったからなぁ。
だから普段から少しずつやっとけばよかったんだよねえ。
なんていつも思うんだけど後の祭りなんだなぁ。
性格って一生直らないんだねえ。(反省)

悲しみは我々の大事な友人の一人です。
喜び、驚き、妬みなども大事な友人たちですが僕に最も霊感を与えてくれるのは悲しみかもしれません。
でも、あまりいつも側にいて欲しくない友人ですが。

動物が亡くなるときはとても悲しいね。
最初は他の動物たちとそんなに変わらないんだけれど長く一緒にいるとだんだん個性がわかってきたり気持ちが通じたりしてくるからなぁ。
そうすると他の動物と違うたっ た一つの存在になってくる。

デ・キリコが10日、僕が11日、モディリアニが12日シャガールもたしかそのあたりじゃあなかったっけ・・・。
才能のある奴が集中しちゃったねえ。
11日がちょっと地味だけど・・・。

もちろん食事もそろそろお腹が空いたなと感じたら面倒ですが何か食べます。
それもいい加減だから一日一食のときもあれば三食のときもあります。
ようするにデタラメな生活ですね。
とても不摂生な生活スタイルなので長生きはしないだろうなぁ。

クリムトの作品は僕も若い頃好きだったので、ウィーンまで見に行ったことがあるんですよ。
ただ、自分とまったく違う作風なので影響を受けたりはしませんでしたが。

男は本当に怖いときはあまり口 に出しません。
見栄っ張りですからね。(笑)

僕の絵から僕を想像できないように、この写真から君を想像しにくいな。(笑)

この写真見たらヴァロトンの風景画を思い出しました。
19世紀末のフランスの画家で象徴派に近い感じの不思議な作品を残しました。
ワイルドの「自然が芸術を模倣する」という逆説的な言葉に納得させられますね。

今、僕はとても忙しいのです。(コホンッ!)
たまにしか忙しいときがないので、胸を張って言います。レレレノレなどといっている場合ではないのです。


僕の好きなもの?・・・・。
言えないようなものばかりなので秘密です。(笑)
無難なところでは真鍮で出来たものが好きですね。
あとは・・影や陰などにはとて も心を惹かれます。

何十年も前に1,2度訪れたことがあります。
まるで舞台美術のような美しい街でした。
小さな橋を渡って島から島へ歩いていくとまるで萩原朔太郎の「猫町」にでも迷い込んだ錯覚を持ちますね。

なんだかすごいなぁ。
僕なんか生まれてから一度もまじめに働いたことがないんだよ。(自慢)
どうだ!偉いだろ~!?

カフェ・ブールマンは成城に画材を買いに行くときによく寄るんだよ。
珈琲も美味しいし落ち着く店だよね。
ピカソの初期の銅版画が掛けてあったね。

高校生の頃リルケという名前が好きで何冊か詩集を読んだことがありますが・・・すっかり忘れてしまいました。

小田急電車相手の喧嘩はしたくないですねえ・・・。
相手は鉄 でできていますからまず勝ち目がありません。
特に頭突きをかますのはあまり賢い方法とは言えませんね。

私自身も幼少時の心理状態をとても大事に思い続けています。
子供の頃は本当に寂しくて悲しくて不安でしたね。
あまり楽しかったという思い出はありませんがそれでも自分にとって一番重要な時期だったような気がします。
あれから何十年も経ちましたがあまり成長はしていないようです。
おかげで絵の題材には不自由しませんが。(笑)

造形的な単純化と重なる部分があるかもしれませんが事物を適切な方法で単純化することで普遍性を持たせることができると考えます。
幼少時の体験は誰でもあるはずですが最も大事なその時期の感覚は大人になるに従って失われてし まいます。
でも人間の意識下には必ずその記憶が残っていて何かの拍子で甦ったりします。
そんな時の心地よさは何物にも変えられません。
僕は自分のそんな感覚に普遍性を持たせようとして絵を描きます。

絵なんか描いてるくせに風景や花などをちゃんと見ることがないなぁ。
出不精だからあまり度にも出ないしね。
かえって外国に住んだりしていたほうが日本の美しさの魅力に気がついたりするのかもしれないよ。

深夜に桜並木の吹雪の中を車で走ると幻想的で素敵だよ。

僕の場合は良いことをしたいと思うこともあるけど悪いことをしたい時もあるなぁ。
いろいろな自分と向き合って生きていかなければならないところが人間の面白いところだよね。

カルロ・ カルラは最も好きな画家のひとりです。
デ・キリコと並んで形而上絵画派の代表的な画家で多くの傑作を残しました。
残念ながら日本ではあまり知られていませんね。
その作品はデ・キリコ以上に形而上的と言えるかもしれません。

本にサインするのはとても苦手です。
古本屋に売るときにないほうが高く売れますよ。

宇宙人については何も知りません。
宇宙人はおろかUFOを目撃した経験もないですねえ。
でも、どこかにいるような気がします。


思想的にはともかく、僕の作品は反戦とはまったく関係がありません。
作品に何かメッセージや意味を込めるということが嫌いなのです。
もし僕の仕事が根底で反戦に繋がる部分を持つとしても「反戦芸術」と言われるのは不本 意です。
もちろん見る人を癒したいとか慰めたいとか希望を与えたいとかいう傲慢な気持ちも毛頭ありません。
僕の作品はただそこに在るだけなのです。
理解しようしたり無理やり意味を持たせようとせずただ感じるだけでよいのではないでしょうか。
僕にとってとても重要なことなので真面目に書きました。

僕の声は小さくて聞き取りにくいので気が付いてくれるととても嬉しいです。
誰もいないと寂しいけどあまり多くないほうがいいかな。

すみません! ダリってあまり好きじゃないんです。
でも、名誉はもっと苦手(笑)だし集まりも駄目なんです。
付き合いが悪くてごめんなさい。

時間が経ったので作風も随分かわりました。
基本的には同じだと思いますが表 面というか描くものが少しずつ変化してきました。
今は何だかよくわからない曖昧な形態を大きな画面に描くこと、自分の形と色彩で変なリアリティを感じさせたいと思っています。

僕のヘナヘナした線を気に入って下さるとは嬉しいです。
体質的なものかもしれませんがしっかりした線が描けないんです。
自分なりに一生懸命なんですが・・・・。

線や色は考えたものではなく体質的なものですね。
自分が心地よいと思う線や色に共感して下さる方がいることは励まされます。

朱色の服で白っぽいエプロンのようなものを着けていたら枢機卿です。
そうでない場合は恐らく女性だと思います。
僕の描いた絵は性別不明に見えるものが多いですから。

夏はTシャツに ジーンス、冬は革ジャンにトレーナー&ジーンスのワンパターンです。
スーツなどのきちんとした服は持っていません。
レセプションにも葬式にも結婚式にもその恰好で行くので顰蹙をかいます。((笑)
しょうがないので葬式用の黒いスーツを作りました。

作品を見て下さりありがとうございました。
絵を見るときは余計な知識などないほうが良いかもしれませんね。
僕自身も自分の作品を言葉ではうまく説明できません。
何かを感じて頂けたのなら嬉しいです。

デルヴォーの場合、繊細さと大胆さのバランスがよいものは緊張感があって美しいのですがただ大きいだけで気が抜けたようなものもありますね。
デルヴォーほどの画家でも高いレベルの作品だけを描き続けるのは難 しかったのですね。
昔、バルテュス展を見たときも同じように感じました。
悲しいことです。

僕は美術館に絵を見に行くのは年に1度か2度くらいです。
若いころは色々見て回りましたがこの頃は億劫でなかなか出かけません。
今度、近くでデルヴォー展をやっているので見に行こうと思っています。
僕の作品も将来たくさんの人に見てもらえたら嬉しいですね。

 

-------インタビューに答えて


自分でもよくわかりませんが美しいものを描こうとするとあんな絵になってしまいます。
おそらく幼少期の経験や想像が元になっているのだと思います。
怪しいことや謎めいたことにとても惹かれますがそれを表面的に描くことはしたくはありません。
自分の意識の底に潜在している何かをうまく形にできれば よいのですがなかなかうまくいきません。
やはり上手に答えられませんでしたね。
でも絵とはそんなものではないかと感じます。

僕の作品に物理的な正確さや自然さを求めたりはさすがになさいませんが皆さんなんだか変だぞと感じていらっしゃるご様子です。
形や精神にどこか不安定な感じを受けるのだと思います。
でも、そういうことを作者に質問しては失礼なのではと思い我慢なさっているのでは?(笑)


僕はあまり均整のとれた精神を持ち合わせていないので作品にも反映してしまうのでしょうね。
自分では生の作品を見られるのはすっぴんの顔を見られているようでとても恥ずかしいです。

ミッション遂行いたしました。
ある事実がまるでなかったことのように永遠に 消えてしまうってなんだか不思議ですね。
人間の死などもそういう不思議さを感じます。
あの作品を見てムフフと思って下さると嬉しいですね。

家の絵は「流される家」という題名で同じような図柄で4、5年前にも描いたのですが見る人は東北の震災をイメージするようです。
僕はまったく結びつけて考えてなかったので驚きました。
初期の頃から90年代ぐらいまでは人物は描いていました。以前は顔を描くのが好きだったんです。
でもそれが段々と後ろ向きになったり、目をつぶってしまったり・・・人を描くのが嫌になってしまって。
一般的に生活感とか時間とか空間とか重量といった自然の内に生成・変化するものを描くことが存在感につながっていくし、絵には質感が非常に大事なものだと思いますけれども、僕は下手なので、自然にきれいだなと思って描くとこういう作品になってしまうんです。それは僕に生活感が無いせいもあるのか もしれません。

自分とってのリアリティーといいますか。ポエジーといいますか。先ほどお話した自然の内に在るものを顕現しないことによって、自身でより強く感じられることなので、意識してやってはいないんです。
例えば正面に展示されている作品には箱が描いてありますが、素材が鉄なのか木なのか段ボールなのか。質感を見ても限定できない。むしろご覧になられた方が決めて下さればいい、逆に分からないという感じをもって下さってもいい。ただ大事なのは謎めいた危険性のようなものを感じて頂けるかどうかだと思います。
危険性の美しさといいますか。この絵は僕そのものですから、不安や孤独感・・・孤独感といってもセンチメンタルな孤独感ではなく、人間本来の個と しての認識。それを肯定している面はあると思います。

そう言っていただけるとうれしいですね。どうしても表層的に見えるもの、具体的に何が描いてあるか分かりやすいものに、人は安心してしまう。例えば描かれたモチーフが知っているものだとわかれば安心するし、自分が実際に行ったことのある知っている風景であれば、より納得するわけです。でも僕自身感覚的といいますか体質で描いているものですから、目に見えるものというよりも事物事象の内側に深く深く降りて行きながら(言葉で表現するのは難しいですが、形而上学的なリアリティーを感じられるものといいますか)幽かに触れる神秘的な蜃気楼に少しでも手を伸ばすことができたならばと思ってはいるんですよ。

そうです。ここの空間はかなり大きいのでその時にはじめて100号を描いて、今年は130号を描きました。
それまでずっと小さいサイズを描いていたものですからとてもたいへんだったんですけど、ただ3号に描くことと100号に描くことでは全然意味が違っていて、例えば箱が描いてある作品も小さいサイズと大きいサイズでは自分の気持ちも変わってしまう。ですから必然性があって描くものなんだと、最近は面白さが少しづつ分かってきたところです。

薄い板を切って貼ってあります。自身の中ではこれだという理由があるわけではないので説明できないんですよ。ただ飾りつけたかっただけかもしれませんし、そこには何かしらの必然性があったんだと思いますね。
それまでは額屋さんに ガラスの入った額を作ってもらって展示していました。でも2005年にこちらで展示したときに見にくいからガラスを取りまして、今年はじめて自分で枠を制作しました。ですから冗談で「今年から額縁を取ったので、現代美術家になるよと、それは絵そのものの本質的な違いではなく、扱い方の違いだけですから、画家ではなくて、アーティストと呼んでくれ(笑)」と言っているんです。そうしてやってみたらこちらの方が面白かったといいますか。むしろこんな感じでいいかなと思っています。

Analects

© 2014 Asao Kawahara and Art Factory

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